2012年08月04日

カービュー『自動車保険一括見積り』サービスの紹介

「カービュー自動車保険一括見積り」は、大手各社の自動車保険の見積を一括で請求できる非常に便利なサイトがです。

複数のプランから簡単に保険料や自動車保険の内容を知ることが出来ます。
また自動車保険を見直したいという場合にも、非常に便利なサイトが「カービュー自動車保険一括見積り」です。

自分の車の情報や住所、名前などを「カービュー自動車保険一括見積り」のサイトから入力、送信します。

「カービュー自動車保険一括見積り」では対応可能な保険会社に必要な情報を一括送信し、保険会社からメールやファックス、郵送で資料が届く、という仕組みになっています。

自動車保険は生活状況や車の使い方によって、ほしい保障も保険料も違ってくるものです。
保険内容をしっかり把握しておく為にも、資料を見る、見積を取るということは必要なことです。

「カービュー自動車保険一括見積り」では一括請求できることで、わずらわしい入力が一回で済み、資料請求も一括で行うことができるという便利なシステムを提供しています。
「カービュー自動車保険一括見積り」のサイトには、自動車保険や保険用語の解説などもあるので、参考にすると良いでしょう。




あなたの愛車を高く買取ります!!


PR 
通信教育 諒設計アーキテクトラーニング

口コミ広告でSEO対策!口コミ効果 + 順位アップ = 売上げアップ!

【印鑑】
posted by センベイ at 05:53 | TrackBack(0) | ご紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月16日

レディースローンブログのご紹介



レディースローンならここが参考になります。
レディースローン 〜 主婦でも借りれました(夫に内緒)
パートやアルバイトで収入があれば、主婦でもお金を借りることができるレディースローン。

夫や会社には内緒にしたいという方も多いと思います。大手のきちんとしたレディースローンならプライバシーには十分配慮してくれるので大丈夫です。それに、レディースローンは電話の担当が女性なので安心です。

こちらのブログでは、お勧めする大手のレディースローンをご紹介します。
間違っても街の看板にあるサラ金などに連絡しないでくださいね。


レディースローン 〜 主婦でも借りれました(夫に内緒)
posted by センベイ at 00:06| Comment(0) | TrackBack(0) | ご紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月09日

長崎県西彼杵郡時津町打坂 長崎自動車(長崎バス)バス車掌・鬼塚道男

 伝えたいふるさとの100話より、ちょっと良い話を紹介します。

戦後間もない昭和二十二年(一九四七年)、乗客の命を守るため、バスの車掌(しゃしょう)だった鬼塚道男(おにづかみちお)(当時二十一歳)は、自ら体を張って輪止(わど)め(車のブレーキ)となり殉職(じゅんしょく)しました。
 事故現場となった長崎県時津町元村郷(とぎつちょうもとむらごう)の国道二○六号線沿いの打坂峠(うちざかとうげ)には、鬼塚車掌の勇気をたたえて建てられた「愛の地蔵」が、道ゆく人々の交通安全を静かに見守ってくれています。
 当時の打坂峠はくねくねと曲がっていて、バスの運転手からは「地獄坂(じごくざか)」と呼ばれていました。道路はまだ舗装(ほそう)されておらず、勾配(こうばい)が二○度もあり、馬力(ばりき)のない木炭バスにとってはつらい急な坂道でした。木炭バスというのは今のようなガソリンでなく車体の後ろに大きな釜(かま)を付け、木炭を焚(た)いて走るバスで、三○人も乗れば満員になるほど小さなものでした。
 鬼塚車掌は、長崎自動車株式会社大瀬戸(おおせと)営業所の二階に住み込んで働き、彼が車掌を務めるバスは、大瀬戸から長崎までの道を一日一回往復していました。
 朝八時の大瀬戸発であれば二時間前の六時には木炭をおこして準備をし、火の調子を整えておかなければなりません。また、走っていてもよくエンジンが止まり、そのたびに釜のなかの火を長い鉄の棒で突いて木炭をならしながら走っていました。このように釜の火の調子を整えることが、木炭バスの車掌の仕事でした。
 事故の起こった昭和二十二年九月一日、鬼塚車掌が乗ったバスは、打坂峠の頂上までもう少しのところでギアシャフトがはずれ、ついに動かなくなってしまいました。ギアシャフトがはずれると、バスのブレーキはまったく効きません。バスはズルズル、ズルズルと急な坂道を後ろに下がり始めました。
 「歯止めの石をかませ!」
と絶叫する運転手の声で飛び降りた鬼塚車掌は、手近にあった石をバスの車輪の前に置きましたが、加速のついたバスは石を粉々に砕(くだ)き、あと数メートルで高さ二○メートルの険しい崖(がけ)のふちというところまで迫りました。崖にバスが落ちれば乗客の命が危ない…。
 その日、最初に事故現場に駆けつけたのは、長崎自動車株式会社時津営業所に勤めていた高峰貞介(たかみねさだすけ)です。朝の十時を少し過ぎたとき、自転車に乗った人が「打坂峠でバスが落ちているぞ。早く行ってくれないか」といって、時津営業所に駆け込んできたのです。
 高峰が木炭トラックに乗って急いで駆けつけると、バスは崖っぷちギリギリのところで止まっていて、運転手が一人真っ青な顔をして、ジャッキでバスの車体を持ち上げていました。
 高峰は後に事故の状況をこう語ってくれました。
 「鬼塚車掌は自分が輪止めにならなければと思ったんじゃないでしょうか。体ごと丸くなって飛び込んで、そのままバスの下敷きになりました。鬼塚車掌の体をバスの下から引きずり出して、木炭トラックの荷台に乗せました。背中と足にはタイヤの跡が付いていましたが、腹はきれいでした。十秒か二十秒おきに大きく息をしていたので、ノロノロ走る木炭トラックにイライラしながら、しっかりしろ、しっかりしろと声をかけて…。九月といっても一日ですから、陽がカンカン照って、何とかして陰をつくろうと鬼塚車掌に覆いかぶさるようにして時津の病院に運んで、先生早く来てくれ、早く早くって大声を出しました。その晩遅くに、みかん箱でつくった祭壇(さいだん)と一緒に仏さんを時津営業所に運んで来たのです」
 鬼塚車掌は、炎天下のトラックの荷台で熱風のような空気を大きく吸い込んだのが最期でした。買い出し客や、市内の病院へ被爆(ひばく)した子どもを連れて行く途中の母親たち三○人あまりの命と引き換えに、若い生涯を閉じたのです。
 この悲しい事故から二七年の月日が流れた昭和四十九年(一九七四年)十月十九日、長崎自動車株式会社は、鬼塚車掌の勇気をたたえ、交通事故をなくそうと、時津町元村郷の事故現場に唐津(からつ)石でつくった慰霊地蔵尊(いれいじぞうそん)を建て、入魂式(にゅうこんしき)を行いました。
 この慰霊地蔵尊「愛の地蔵」は、赤いよだれ掛けを風に揺らし、鬼塚車掌の命日である九月一日には毎年供養祭(くようさい)が行われています。
posted by センベイ at 06:18 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。