2012年06月05日

青森県 県名の由来

青森県の 県名の由来です。

ひろしまの風景というサイトの  都道府県名一覧 では、
※ここから引用
明治4年から現在の県名。明治4年9月5日、弘前県・七戸県・八戸県・斗南県・黒石県・館県の6県を合わせた弘前県が成立するが、明治4年9月23日、県庁を弘前から青森へ移して一部を引き継ぎ、青森県と改称した。 青森は、江戸期には、青盛とも書いた。地名は、一年を通じて松が青々と生い茂ることから青森山と呼ばれた地名に由来する(青森市沿革史)。
※ここまで。

地名由来辞典では、
※ここから引用
青森の名は、近世初頭に米町(現在の本町5丁目)にあった「青森山」という小丘陵の名から、「青森町」と命名された。
山の名前の由来は、磯馴松(そなれまつ)が青々と生い茂った小高い森であったからとする説と、「ア・オ・モリ」と分け、アイヌ語で「ア(接頭語)」「ヲ(高くなった所)」「モリ(盛)」から「突き出た丘」を意味する説がある。
その他、アイヌ語説には意味が異なるいくつかの説があるが、「ア・オ・モリ」と細かく分割し、音を当てはめただけの説が多いため信憑性は薄い。
※ここまで。

ウィキペディアでは、
※ここから引用
明治4年(1871年)9月に当時弘前町に設置されていた県庁が青森町に移設された際に、県庁所在地の地名がそのまま採用されたものである。「青森」という地名は、江戸時代に弘前藩が現在の青森市の場所に港町の建設を始めたときに名付けられたもので、現在の青森市本町付近に海上からの目印になる青い森があったことが由来とされている。
※ここまで。

ということです。
posted by センベイ at 06:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月27日

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2012年05月23日

北海道、地名の由来

北海道「ほっかいどう」、という地名の由来を紹介します。
地名由来辞典 によれば、
※ここから引用
明治2年8月15日の太政官布告により、「蝦夷地(えぞち)」や「松前(まつまえ)」と言っていたものを改称したもの。
改称には江戸末期の蝦夷地探検家でアイヌとの交流を続けていた松浦武四郎が、「北加伊(きたかい)道」「海北道」「海東道」「日高見(ひたかみ)道」「東北道」「千島道」の6案を建白書で提出した。
先住民族のアイヌが自分たちの地を「カイ」と呼んでいたことから、6案のうち「北加伊道」を基本とし、五畿七道(東海道、東北道、北陸道、山陰道、山陽道、再開道、南海道)になぞらえ、「北加伊道」に「北海道」の字を当てて採用された。
北海道が正式に自治体となったのは昭和21年、47都道府県のうち唯一「道」の行政区画名を用いる。
北海道が正式に自治体となったのは昭和21年、47都道府県のうち唯一「道」の行政区画名を用いる。
地名(「都府県」をつけない「愛知」など)と行政区分(「都府県」をつける「愛知県」)との区別はなく、「北海道」か「北海」かはっきりされていないが、一般的には「道」をつけて用いられる。
※ここまで。

同様に、北海道ナビ!! でも、
※ここから引用
「ほっかいどう」という地名は、先住していたアイヌ民族がこの地を「カイ」と呼んでいたことに由来します。
江戸末期に蝦夷地を探査し、アイヌ民族と交流を深めた松浦武四郎が、蝦夷地の改名に北加伊道、海北道など6つの原案を提出し、それらをもとに「北海道」と命名されました。
先住民族のアイヌが自分たちの地を「カイ」と呼んでいたことから、6案のうち「北加伊道」を基本とし、五畿七道(東海道、東北道、北陸道、山陰道、山陽道、再開道、南海道)になぞらえ、「北加伊道」に「北海道」の字を当てて採用された。
※ここまで。


また、ウィキペデアでは
※ここから引用
この島の先住民であるアイヌの言葉(アイヌ語)では「アイヌモシリ」(ainu mosir、「人間の住む土地」の意)と呼ばれていた。日本人(和人)は近代に至るまでアイヌを蝦夷(えぞ)、その土地を蝦夷地(えぞち)もしくは北州、十州島などと呼んでいた。(中略)
なお、松浦は建白書において「北加伊道」案はアイヌが自らを「カイ」と呼んでいることから考案したと説明しているが、言語学者の金田一京助は、当時のそのような事実を示す証拠は見つかっていないと唱えている。
※ここまで。

と、いうことです。


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